プログラマでありたい

おっさんになっても、プログラマでありつづけたい

Storage-JAWSの第ゼロ回に登壇してきました

 既に1ヶ月以上も経過してしまいましたが、Storage-JAWSの立ち上げ回に登壇させていただきました。その時の記録を残しておきます。

storage-jaws.connpass.com

登壇資料と動画

 まず登壇資料と動画です。Storage-JAWSということで、ストレージにちなんだ話をしました。

speakerdeck.com


www.youtube.com

登壇とテーマ決めの経緯

 本編でも説明しているのですが、登壇の経緯です。技術書典で売り子をやっている時に、Storage-JAWSの主催者の藤原さんがご挨拶に来られて、今度JAWSUGを開くので何か話してくださいとご依頼いただきました。何の話を依頼されるのか解らなかったのですが、二つ返事で承諾しました。後日、Storage-JAWSの発足の話を聞いたという次第です。
 ストレージについて、そんなに専門性を持っている訳ではなく、立ち上げ回ということで何を話せば良いのか悩みました。幾つか候補があったのですが、5月にAWSの昔話の技術同人誌を書いた事もあり、ストレージサービスの昔話をしました。これが良かったのか悪かったのか解らないですが、けっこう昔の話を興味深くきいてくれる人がいたようです。ありがたい限りです。
 他の候補としては、EBSのアーキテクチャのDive Deepや性能測定の話も候補に考えていました。話すとなると、かなりの下調べが必要になりそうです。時間的余裕がなかったので、またいつか調べて話してみたいと思います。
 資料を見返してみると、s3fsの話題もいれています。ちょうど昨日、Mountpoint for Amazon S3がでましたが、このあたりも深く調べてみたいですね。

資料作成の裏話

 今回は私的な登壇なのですが、一応所属する会社に資料として問題ないかのチェックをしてもらっています。資料的には、特に問題がなかったのですが、担当者から、「佐々木さんは、いつもワインオープナーを持ち歩いているのですか?」と質問がありました。最後のスライドに対して、鋭い指摘です。
 普段使うカバンとスーツケースには、ソムリエナイフを常備しております。これで、ワインを選ぶ際に選択肢の幅が広がります。スクリュータイプよりコルクタイプの方が、種類が多いですからね。また、ほとんどのワイン売り場では、購入時にコルクも開けてくれます。しかし、栓が開いたまま持ち運ぶのは、大惨事を引き起こす可能性があるので避けています。なお、数年に一度ほど、飛行機に乗る際に入れっぱなしにしていて、なくなく処分させられています。皆さん、ご注意ください。

感想

 ひさびさのJAWSUG登壇で、かつ立ち上げ回ということで、非常に貴重な体験をさせて頂きました。機会を頂きまして、ありがとうございます!!今後は登壇も増やしていきたいので、お気軽にお声がけください

takuros.booth.pm

技術書典14オフラインに出展してきました

 2023/05/21 に開催された技術書典オフラインに物理出展しました。大変な賑わいで、コロナ禍という逆境の中を生き残って、よくぞ技術同人誌の文化を残してくれたという感動がありました。運営の皆様、本当にありがとうございました。

 混雑具合も上手くコントロールされていて、出展者として参加して非常に心地よい体験でした。今後も参加していきたいですし、後から振り返られるように、また新しい人が参加する際の参考に、記録や所感を残しておこうと思います。

当日の売れ行きと考察

 まず当日の来場者数です。主催の日高さんによると、当日の入場者数は2,100人だったそうです。

時間ごとの入場者数はわかりませんが、11時から13時までの入場チケットは売り切れていたようです。時間あたりMax500人くらい合計で2,500人くらいで設定していたのではないかと推測します。

 それに対して、私が当日用意した本は、次のとおりです。当日の来場者数は全く解らないので、売り切れを出さないことを目標に設定しました。

  • AWSの薄い本Ⅰ IAMのマニアックな話 30冊
  • AWSの薄い本Ⅱ アカウントセキュリティのベーシックセオリー 30冊
  • AWSの薄い本Ⅲ データ分析基盤を作ってみよう 〜設計編〜 100冊
  • AWSの薄い本Ⅳ 昔話で振り返るAWSの歩み 200冊

 IAM本とセキュリティ本は、BOOTHから在庫を取り寄せて30冊づつ用意しました。データ分析本は長らく物理本が欠品状態だったので増刷です。そして、昔話が新刊となります。後の2冊は印刷所である日光企画から直送してもらっています。こんなに要らないとは予想していたのですが、車で行く予定だったので、持って帰る前提です。(技術書典会場への送料は無料で、自宅に別送したら有料なので)

 さて、当日の売れ行きはどうだったのでしょうか?

時間 IAM本 セキュリティ本 データ分析本 昔話 合計
11:00
7冊
8冊
11冊
17冊
43冊
12:00
6冊
7冊
6冊
18冊
37冊
13:00
12冊
11冊
7冊
18冊
48冊
14:00
4冊
4冊
5冊
12冊
25冊
15:00
2冊
0冊
10冊
10冊
23冊
16:00
1冊
0冊
4冊
6冊
11冊
合計
32冊
30冊
43冊
81冊
186冊

※上記以外にも、現金決済が10冊あります。売れた時間を残していなかったのですが、1時間に2冊づつくらいで満遍なくといった感じです。

 なんとIAM本とアカウントセキュリティ本が2時過ぎに売り切れてしまいました。IAM本の発刊は2019年、セキュリティ本が2020年です。技術書典に来る人にとっては、もう見飽きているだろうという判断を元に用意した冊数です。正直言うとIAM本についてはBOOTH側の在庫もわずかで、増刷するくらいであれば改訂した方がよいと考え、用意できるギリギリの冊数をだしました。これが痛恨の大外れです。
 他の出展者とも話して様子が解ったのですが、久しぶりのリアルの大規模開催ということで、技術書典が初めてという方も多かったようです。そんな事もあって、IAM本を初めて見る人も多かったようです。私のブースの傾向をみると、IAM本とセキュリティ本・データ分析本は、じっくりと見本誌を読んで購入を決める方が多かったです。逆に昔話は、ノールックで買って頂くケースが殆どでした。なので、IAM本とセキュリティ本を売り切れを告げるのが申し訳なかったです。
 今回の様子をみると、既刊50冊づつ新刊100冊くらいがちょうど良かったようです。もう少し来場者が増えると仮定して絶対売り切れ出さないようするには、既刊75冊づつ+新刊150冊くらいですかね。いずれにせよ、普通にやっていると私の場合は200冊くらいが限界だと思います。

頂いた声と回答

Q. IAM本は改訂しないの?
A. します。秋までには。(いつの秋かは解らない)

Q. データ分析本の実装編はいつでるの?
A. 次の次くらいの予定です

Q. Organizations本は?
A. 次の予定です。

Q. AWSに入門したいのだけど、ざっくり解る本は無いの?
A. 面白いテーマです。ただ商業誌に、よい入門書が多いので同人誌として出すか悩ましいです

Q. AWS以外の本とか出さないの?
A. なんか書いてみます

技術書典7との比較

 参考までに、私の技術書典出展の原体験であり、最も混雑した回であった技術書典7との比較です。

時間 技術書典7 技術書典14
11:00
151冊
43冊
12:00
94冊
37冊
13:00
82冊
48冊
14:00
43冊
25冊
15:00
45冊
22冊
16:00
36冊
11冊
合計
451冊
186冊

※前回の様子
#技術書典 に初出展。AWSの薄い本 IAMのマニアックな話を書きました - プログラマでありたい


 技術書典7のあの混雑は、もう戻らないと思います。最初の1時間は、本当に身動きが取れないほどの人が集まって、一方通行オンリーでした。午後になると随分空いたなぁと感じていたのですが、それが技術書典14並の来場のペースです。どちらがいいかという話はありますが、私としては今回のようなゆったりした感じがよいのじゃないかなと思います。
 というのも、今回くらいの来客者数だと1人で店番していても、ブースに来ていただいた方と色々お話しながらでも充分対応ができました。日頃私の本やブログ・Twitterを読んで頂いている方とお話することや、見本誌を読んで頂いた方からフィードバックなどを沢山いただけました。私にとっては、技術書典のオフライン会場は、販売の場というよりマーケティングの場という位置づけにした方がよいと感じているので、今回くらいの混雑具合がちょうどよいです。

感想

 ということで、私の技術書典14のまとめです。今回のブログを読むと、お前のところは知名度あるから余裕だけど、出展者の多くはもっと大変なんだぞという批判は出てくるんじゃないかなと思います。ただ、記録は記録として残しておいた方が良いと思うので、そのままストレートに公開させて頂きます。
 私としては、あのコロナ禍の絶望の中で、運営の皆様の並々ならぬ努力と工夫のお陰で技術書典ひいては技術同人誌の文化が残っていったことに感謝感謝です。単純に販路という意味では、私の場合はBOOTHやKindle ダイレクトパブリッシングで確保しています。なので、例え技術書典が無かったとしても、もう困らないかもしれません。しかし、それだけでは新規で技術同人誌を書いてみようという人には参入者には厳しすぎます。日本の技術同人誌をとりまく環境は良い文化になっていると思うので、少しでも何か貢献していきたいなと考えています。これを見て、自分も出展してみようだとか、技術同人誌を書いてみようという人が出てくるとよいなと思います。それでは、また次回の技術書典でお会いしましょう!!

techbookfest.org

「AWSの薄い本Ⅳ 昔話で振り返るAWSの歩み」を書きました

今年はアウトプットするぞということで、2年ぶりに技術同人誌を書きました。2023年5月21日開催の技術書典14 オフラインで販売します。またBOOTHにも入庫中です。

booth.pm

内容

 技術的な話ではなくて、AWSが出た当初はどんなだったのかという昔話です。日本に最初のAWSリージョンが開設されたのが、今から10年以上前の2011年です。そして、AWS自体は2000年代からありました。そうなるとエンジニアを始めた頃から、当たり前のようにクラウドがあったという人が多くなっています。昔からAWSを見てきた一人のユーザーとして、AWSの昔話を残しています。現在ではAWSには様々なサービスがありますが、例えばEBSのようにこれが無かった時代はどうやっていたのだろうと疑問に思うようなものもあります。無い時にどうやっていたのかの工夫と、不便がどんどん解消されていった時の空気感を伝えようとしています。
 中のコンテンツは、ブログで発表済みのものもあります。ブログからブラッシュアップしていますが、私のブログを全部読んでいるよという酔狂な方は、ご注意ください。

目次

第1章 最初の AWS サービスは何か?
 1.1 AWS の何が画期的だったのか?
 1.2 ジェフ・ベゾスの掟(The Bezos Mandate)
 1.3 インターネット時代の malloc S3
 1.4 始まりのAWS SQS
 1.5 名前を奪われた、もう一つの AWS
 1.6 群衆のクラウド Amazon Mechanical Turk
 1.7 AWS が巨大なプラットフォームになったのは何故か?
第2章 EC2 クラウドという概念をつくりあげたパイオニア
 2.1 原初AWSの海に漂っていたEC2
 2.2 GUI のコンソール画面なんて無い!! 統合的な CLI も無い
 2.3 EBSが無い時代のEC2
 2.4 2006年にEC2を出したAmazonの決断
第3章 ストレージサービス AWS の覇権の原動力
 3.1 EBSもっともハードウェアに近いサービス
 3.2 S3 時代を超越したオーパーツ
 3.3 AWSのストレージサービス
第4章 IAM 遅れてきた仕事人
 4.1 IAM以前
 4.2 VPCにみるAWSの設計ミス
 4.3 IAMがAWSにもたらしたもの
第5章 Before After CloudTrail
 5.1 CloudTrailがなかった時代
第6章 何もないところから始まった AWS
 6.1 揃う前にリリース
 6.2 記憶を記録に

書こうと思ったキッカケ

 さて、そもそも何でこの本を書こうと思ったのでしょうか?前々から、自分が知っている事を残すというのは、意味があるのではと思っていました。「永富家の人びと」という本があって、これは鹿島建設の「中興の祖」と言われる鹿島 守之助が作った鹿島出版会が出している本です。永富家というのは、兵庫県たつの市にある旧家で、永富家住宅として国の重要文化財にも指定されています。鹿島 守之助は永富家の出身で、鹿島家に養子にいきました。その関係もあって、鹿島出版が、守之助にまつわる事項をまとめたのでしょう。

 この本には、永富家の他に、近隣の縁がある家についても記載されています。佐々木家も実父が継いだ加藤家も永富家と縁があり、昔から養子に行ったり嫁に行ったり貰ったりしていたようです。そんな関係もあり、佐々木家のことも記載されています。読んでいると江戸時代の当主(永富家からの養子)の振る舞いが身分不相応とかで藩に怒られて蟄居したなど、本人の性格とともに記されていました。こんな記録、よくまとめたなぁと思うと共に、まとめてくれた人がいるから百年以上後にも様子が解るのだよなと思いました。

 EC2, S3がリリースされてから17年が経ちました。振り返ってみると、わずか10年程の前のことも記憶があやふやです。また、いろいろな情報がインターネットにありますが、その情報も消えてしまうこともよくあります。なので、1冊の本でまとめることの大切さを実感しています。そんな大層なものではないですが、10年後の誰かに役にたてば幸いです。

感想

 最近、継続的に文章を書くのが大変になってきました。加齢もあるし、家庭環境・仕事環境もあると思います。この本をキッカケに、また創作意欲が湧いてくるといいなと思っています。なんだかんだ、毎日少しづつ書けるのが一番充実するんですよね

booth.pm

年金の味がするお米

 煽り気味のタイトルですが、わりと真面目な話です。私の田舎の方で長らく続けてきたお米作りを止める決断がされました。それについていろいろ思う事があるので、文章として残しておくことにします。


zcf428526によるPixabayからの画像

背景の説明と止めるに至った経緯

 まず登場人物の関係をぼかしたまま書くと、読んでいる人は訳がわからなくなるので差し支えのない範囲で背景を説明します。田舎と書いて実家と書かなかった理由としては、次のような感じです

  • 私が30歳くらいの時に、兵庫県にある父方の私の伯父に養子にいって家を継ぐことになった。私の感覚としては、実家というよりおばーちゃんの家
  • 生まれ育った家は滋賀県の大津市にあり、兄夫婦が住んでいる
  • 実母は既に亡くなっており、実父は田舎と呼んでいる家から車で10分くらいにある旧家を継いで暮らしている
  • 実父も40歳くらいの時に、親戚の旧家を継ぐために養子になっている
  • その関係で私は過去2回姓が変わっている。 佐々木→加藤→佐々木
  • 田舎と呼んでいるが、姫路駅など地方都市まで電車で10分ほどで都会的なものへのアクセスが遠い訳ではない
  • でも家の周りは田んぼしかないので、私の主観でも一帯に住んでいる人の主観でも、田舎としか言えない
  • 私にとって実家がどこを指すのか解らない(これは今回の話と関係ない)

 私が継ぐ事になる家は、昔は地方の名家と呼ばれるような家だったが、祖父の戦死や戦後の農地改革で家と少々の畑が残るばかりです。養父は、兼業農家として畑仕事をしながらサラリーマンとして働いていました。定年後はもっぱら畑仕事のみをしていたのですが、80歳を優に超える今は田んぼを維持するのが難しくなっています。
 私自身や私の兄も、田植えや収穫など一番手が掛かるときは手伝いにいっていました。米は一度植えてしまうと比較的手が掛からないものの、やっぱりほったらかしで出来るものではありません。雑草等も生えてくるので、泥の中を歩いて抜かないといけないです。これが足腰が弱った高齢者にはかなり厳しく、かつ、近くにいないと難しいという現実があります。ということで、今年でいよいよ米作りを止めるという決断に至りました。

周辺の状況

 では、周辺の状況はどうなんでしょうか?これもほぼ同じような感じのようです。自分の田んぼを担っていた人は、みんな80歳以上になって次々と止めるという決断になっているようです。その田んぼを地域で若手と呼ばれる50〜60歳くらいの人が借りて田植えを継続しています。そうです。50〜60歳で若手と呼ばれるのです。また、貸しているので賃料貰えるのと思われるかもしれませんが、賃料は一切ありません。そこで出来た米も一切貰えること無く、なんなら買う必要があります。条件悪いように思えますが、田舎の農地をめぐる現実はこんなものです。
 田んぼである事を止めるには、農地から転用の申請をしないといけないし、その許可がなかなか降りないそうです。運良く転用が許可されても、固定資産税は跳ね上がります。そして田舎なので、駐車場やマンションの用地としてのニーズは皆無です。

日本の米作りの現状

 ここで一旦ミクロの話から離れてマクロな話で米作りの現状をみてみましょう。農林水産省が「稲作の現状とその課題について」というレポートを出しています。これによると、基幹的農業従事者数 136万人で、平均年齢 67.8歳。70歳以上の割合が51.1%です。農家あたりの作付面積をみても、1ヘクタール未満で全体の63%を占めます。2ヘクタールに広げるとなんと81%です。2ヘクタール以下の従事者が作付面積している面積は、全体の30%になります。
 1ヘクタールの田んぼと言ってもイメージしづらいともいますが、収入にして良くて100万円くらいです。これに労働に対価いれない状態での経費を入れると利益は20万円くらいと言われています。まぁそれで生活できるレベルじゃないというのは、容易に想像できます。稲作だと専業農家としてやっていけるのは、稲作だとだいたい10〜15ヘクタールからと言われています。10ヘクタール以上の農地を持つ人の割合は、全体の3%(※)です。
※生産量換算でいうと、この3%が36%の作付面積を占めているので集約化は進んでいる模様。
 このことから、田んぼの収入だけで生活は難しいので他の収入が必要で、昔は兼業農家が多かったと思いますが、今は年金をもらいつつ田んぼをやっているというのが多いであろうことがデータから読み取れます。

 ちなみにヘクタールと収入換算だけでも解りにくいと思います。だいたい日本人が一人で1年間で食べるお米の量が、50kg程と言われています。で、この50kgを作るのにどれくらいの田んぼの広さが必要かと言われると、1アール程。1アールは0.01ヘクタールで100平方メートル。だいたいテニスコートの半分くらいです。テニスコートを見るたびに、自分が食っている米はテニスコートの半面くらいかと思い起こす呪いに掛かってください。日本の作付面積が、2020年で 128万ヘクタール。日本の国土の3.3%くらいです。この辺が、稲作の現状を把握する上で、ざっくり知っておいた方がよい数字です。
※単位面積当たりの収穫量としては、お米は他の農作物と比べてめちゃくちゃ効率が良いです。

10年後の農業は?

 話が長くなったので、ここまでの話をまとめます。

  • 日本の稲作農家の多くは、農業1本で食べていけない規模が多い
  • 稲作の従事者の平均年齢を見ると、年金をもらいながら田んぼもやっている
  • 81%の従事者が属する2ヘクタール以下の作付面積の合計は、全体の30%に及ぶ
  • 従事者の51.1%が70 代以上。80代になると継続が難しくなる

 ほぼ間違いなく、あと10〜15年くらいで農業従事者の多くが引退します。当然、子どもに引き継がれるなどの代替わりもあると思いますが、その率はそれほど高くないと思います。50%くらいの農家のうちの大部分が消滅するので、インパクトは相当大きいです。実際、耕作放棄地は急速に増加して、2015年には42万ヘクタールに及ぶようです。2020年の作付面積が128万ヘクタールなので、その1/3に匹敵します。かなり広大な面積ですよね。
荒廃農地の現状と対策について

 それでは、10年後の日本の農業はどうなるのでしょうか?作付面積は漸減していくのは間違いないでしょうが、同時に農地の集約化も進むでしょう。実際、私の田舎でも行政主導で農地の集約が進められています。それより本格的に議論していかないといけないのは、戸別所得補償制度の増額だと思います。現状、年金をもらいながら田植えをするという形です。今の高齢者が引退した後に、次の世代に引き継いでいくには補償制度なしでは成り立たないでしょう。
 米などの生活に欠かせない主食は、本質的に儲からないような価格設計にされています。先進国の農家の殆ども補償制度を前提としているようです。このエントリーのタイトルに「年金の味があるお米」とした通り現状の米作りが維持されているのは、年金を貰いながら損得勘定無視で続けている農業従事者の存在が大きいです。この仕組みが後10年以内に、いよいよ維持できなくなろうとしています。ここまで行くと政治マターですが、まともな制度設計作れるのかなぁと懐疑的です。

まとめというか、再び自分の話

 自分は農政を学んだ訳ではなく、身の回りのところと公開されているデータを元に推論した素人考えです。事実誤認しているところも多数あると思います。その辺は、ご容赦ください。
 自分が引き継ぐであろう農地については、たぶん用地変更して太陽光発電でもやるんじゃないかなぁと思います。耕作放棄地になって雑草などが生え放題になると、隣の田んぼへの害虫問題になります。それであれば、利益は殆ど出なくても税金分と土地の管理分出れば御の字だと思います。たぶん都会に出ていて相続する人の多くはそうなるんじゃないかなと思います。
 また機会があれば、旧家の没落の話でも書いてみようと思います。なかなか生々しい話なので躊躇しますが、この辺も整理しておくと良いような気がします。わりと記録が残っているので、まだ親の世代が生きているうちに記録と記憶を合わせて残しておくのもいいのかもと思い出しました。

Unclaimed Property(未請求資産)で数百万円を取り戻した話

 皆さん、Unclaimed Propertyという言葉をご存知ですか?日本語では、未請求資産と言います。さっぱり解りませんよね。Unclaimed Propertyとは、米国にある制度で持ち主の所在が不明になるなど何らかの事情でお金を返金する手段を失った企業や団体が、返還できない金融資産を州政府へ一時的に預け保管しておく制度です。で、元の持ち主は、所定の手続きを行うことによって州政府から返金を受けることができます。企業や団体は、面倒くさい手続きに巻き込まれることを回避できます。

私がUnclaimed Propertyの手続きをした理由

 Unclaimed Propertyの対象の一つに、長い間入出金のない銀行の休眠口座預金があります。私は10年以上前にアメリカのカリフォルニアにあるグループ会社に出向してベイエリアで働いていたことがあります。給料の振り込みや生活のために銀行口座は必須なので、現地の銀行に口座を作っていました。離任後もしばらくは税金やサービスの支払いなので銀行口座が必要になるので、そのまま残しておきました。その際に口を酸っぱく言われたのが、少額でも良いので年に何回か取引をして、口座を凍結されないようにすることです。
 州によってはルールが違うようですが、カリフォルニア州では3年以上取引がなかった口座は、州政府に移管されます。私も口座が凍結される事はしっていたのですが、口座にログインするためのID・パスワードの組み合わせを何度か間違えてしまってロックがかかってしまいました。ロック解除の依頼はかけたのですが、自分の苗字が変わっていたために例外的な対応が必要で書類が沢山必要でした。当時は仕事も忙しく、そのうちやれば良いやと思っていたのですが、気がついたら案の定凍結されていました。まぁ自分が悪いですね。

Unclaimed Propertyの存在を知る

 そんな中で、2019年にGoogle I/Oに参加するためにベイエリアに行きました。セミナーの合間を縫って、銀行の店舗に行って自分の口座がどうなっているのかと聞きにいきました。30分くらいやりとりした結果、既に凍結されているので銀行側ではどうしようもない。Unclaimed Propertyという制度があって、そこで自分の凍結された資産がみることが出来るよと教えてもらえました。

www.sco.ca.gov

 サイトのSearch for Unclaimed Propertyで、適当な日本人の苗字をいれてみてください。わりとわんさかと出てくると思います。相対してくれた銀行員の方は、これで取り戻すことが出来るよ、おめでとう。今晩は良いものを食べるといいよと言ってくれました。

Unclaimed Propertyを取り戻すための戦い

 Unclaimed Propertyの存在を知ったので、次はそれを取り戻すための手続きです。現地の銀行員さんの話では、さくっと出来るよみたいな感じだったのですが、なかなか一筋縄にいかなそうなので日本に帰ってから手続きをすることにしました。調べた限り、ざっと必要なのは下記の書類

  • 現在有効な日本のパスポートコピー
  • アメリカのSSN(ソーシャルセキュリティーナンバー)
  • 日本の現住所を証明する書類

 ただ私の場合、苗字が変更になっているので、本人であることを証明するのが大変です。必要そうな書類をいろいろ集めてみたものの、自分で申請することは早々に諦めました。海外のUnclaimed Propertyの返還手続きを代行してくれる行政書士がいたので、いくつか比較検討の上で対応をお願いすることにしました。

書類を集める旅と、意外に役にたった習慣

 行政書士のアドバイスを元に、必要な書類を集めていきました。自分でやろうとしていた時に、戸籍附票などは取り寄せていたのですが、更に沢山のものが必要でした。なかには口座凍結時に住んでいた住所(賃貸)に住んでいたことを証明するための書類といったものもありました。公共料金の支払いで良いですよとサラッと言われましたが、何度も引っ越している私には難易度の高いリクエストでした。その時に役にたったのが、請求書のスキャンです。アメリカ時代にクレジットカードの請求が間違えられることが多いから、レシートなどは保管しておくと教えてもらいました。ただ紙で保管をするのも大変なので、片っ端からスキャンして電子で保存していました。未整理な状態で放り込んでいただけですが、10数年を過ぎて役にたった訳です。過去の自分、偉いと思いました。それ以外にも、公証役場にいって証明書を書いてもらうなど、人生の中でなかなか経験することが無い経験がありました。
 行政書士の方に、これらの書類を全部英訳して申請となります。

返還の小切手の受け取りと、換金の話

 手続きを始めてから10ヶ月ほどで、無事にUnclaimed Propertyの返還の小切手を受け取ることができました。手続きは10ヶ月弱でしたが、口座凍結されてから10年以上経過していたのですよね。何を悠長なことをしていたのだと思います。


米国の小切手が換金できない

 小切手を受け取ったので、換金しようと意気揚々と銀行に行きました。そうしたら、なんと今は殆どの銀行では米国の小切手の換金をできないとのことでした。なんでもマネーロンダリング等の対策のようです

三菱UFJ  2019/5/31終了
三井住友 2018/7/2終了
みずほ  2018/12/3終了

 自分が見つけた中では、唯一SMBC信託銀行が取り扱いをしてくれました。池袋に店舗があったので、会社を休んで口座開設へ。たいした資産もないのに信託銀行で口座開設できるのかと心配しましたが、普通に開設できました。よかったよかった。小切手はドルのまま放り込んでいます。定期預金に変えておいた方がよさそうな感じです。

まとめ

 銀行口座を放置しておくと、後が大変です。ズボラなことはしないようにしましょう。これは日本の口座でも、同じようなことが起きると思うので、使っていない口座は解約しておいて2〜3個くらいに集約しておくことをお勧めします。私もいろいろな口座もっていたのですが、今回のようなこともあって都銀、ネット銀行、地銀、信託銀行と用途別にそれぞれ1つに集約しました。
 あと書類は、雑にでもよいのでスキャンして電子化しておくと、思わぬ時に役にたつかもしれません。書類関係捨てられずに困っている人も多いと思いますが、スキャンしておけば躊躇なく捨てられます。
 世の中の99%以上の人にとっては必要がない情報ですが、私のUnclaimed Propertyの返還の記録を残して記憶の供養をしておきます。

Type-C搭載ディスプレイを活用した複数PCの切り替え術

 みなさんのPCデスク周りはどういった環境でしょうか?テレワークの浸透で、自宅でのPCデスク周りの充実が急速に進んでいると思います。私も昇降式デスクを導入するなど、自分好みの環境に整備していっています。
 そんな中で少し困っていたのが、複数のPCを利用する場合の環境の切り替えです。私は日中は会社のPCで業務し、夜間は自分のPCで原稿の執筆などをしています。この際に困っていた事として、キーボードやマウスは同じものを使いたいので、PCの切り替え時の手間が面倒くさいということです。試行錯誤した末に行き着いた現状の構成を紹介します。

PC周りの周辺機器

ディスプレイはType-Cの給電タイプ

 まず環境の中核となるのが、USB Type-Cで給電機能とUSB自体のハブの機能を持つディスプレイです。条件がかなり絞られてしまうのですが、給電機能を持つものが重要です。自分が買ったものは絶版になったようですが、LGの27インチのものを買いました。このシリーズです

キーボードは有線のもの

 キーボードはREALFORCE TKL for Macです。キーボード自体は好みのもので良いのですが、重要なのはBluetooth接続ではなく有線接続のものを選ぶことです。或いはマウスのところで後述しますが、USBレシーバー(ドングル)で接続するものを選びます。ちなみに私はWindowsとMacの両方を使うため、for Macを選択しています。

マウスはUSBレシーバー(ドングル)対応のもの

 そして最後のマウスです。マウスも過去、いろいろなものを使ってきましたが、今はシンプルさと持ち運びのしやすさを重視して、ロジクール M325tDS を使っています。自宅と会社と外出カバンに入れる用に3つ買っています。

 マウスで重視した点は、使いやすさはもちろんのこと、USBレシーバー(ドングル)で接続するタイプであることです。PCを切り替える際に、Bluetoothで接続していると切り替えの手間がかかります。そこを解決するのがUSBレシーバータイプのマウスなのです。有線タイプのマウスという選択肢もありますが、さすがに今の時代に有線マウスはないかなと。

PCの切り替え方法

 周辺機器の説明をしたところで、本題のPCの切り替え方法です。実現方法はシンプルで、ディスプレイの裏のUSBにマウスのドングルやキーボードを接続しています。そして、ディスプレイとPCの接続は、Type-Cのケーブルで行っています。違うPCを使う時は、このケーブルを刺し直すだけです。つまりディスプレイにドッグステーションの役割を持たせています。

 PCを同時に使いたいというニーズには対応していませんが、私の場合はこれで充分です。あまり頻度は高くないのですが、嫁さんや子どもたちが自分のPCやタブレットを使いたい時も、Type-Cにさすだけで使えるようになっています。PCでの設定が不要なので、一定のニーズはあるんじゃないかなと思っています。

 ちなみに裏面は、こんな感じになっています。


 ネットへの接続も、Wi-Fiではなく有線LANにしています。そのため、USBハブを増設して無理やりつけています。
※ごちゃごちゃなので、そのうち整理したいです。

まとめ

 複数台のPCの切り替えはKVMスイッチが鉄板だと思います。ただ、同時に複数のPCを利用しない前提であれば、こういったシンプルな切り替え方法もあるよという紹介でした。みなさんもぜひ、自分なりの環境を構築していってください

2022年の振り返りと2023年の目標

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年は振り返りと目標をすっ飛ばしましたが、やっぱり大事ということで今年はちゃんんと書きます。2022年の主な活動は、子供の野球チームの手伝いと、その合間に執筆2冊です。登壇は、仕事で幾つかしたもののプライベートでスライド作っての活動はしていません。なんというか体力的に非常に苦しくて、かなり苦しんだ1年でした。

14,15冊目の本の出版

 2022年2月に出したのが、要点整理から攻略する『AWS認定 高度なネットワーキング-専門知識』です。数あるAWSの認定資格の中でも、難しいという人が多い難関の試験の一つです。難しい理由としては、ネットワークに関して言うと、実務で経験しにくい部分が多いことと、それを解説している資料が相対的に少ないことがあると思います。
 この本は、(AWSの中の人を除いて)私が知りうる限りもっともAWSのネットワークに詳しく実務に精通しているメンバーを集めることができました。完成した本を読んでみると、自分が知りたかった情報がわかりやすく整理されていると自画自賛できる出来栄えになっています。出版直前に新試験が発表されましたが、先を見越して新サービスに対応していたので新試験にも充分対応できるようになっています。

 15冊目の本は、同じくAWS認定試験の対策本で、AWS認定資格試験テキスト AWS認定SysOpsアドミニストレーターです。現行の認定試験の中で、画面を操作する実技試験がある唯一の試験です。その影響もあってか、アソシエイト3種の中で、なかなか難しいとみなされることが多い試験の1つです。この本もAWSに詳しく実務経験豊富なメンバー陣で執筆しています。実は最近私が執筆に携わっている認定試験の問題は、すべて小西さんに書いてもらっています。なんか、もうAWSの認定試験より認定試験っぽい問題作るようになっていて、凄い以外の語彙力を失ってしまいます。

執筆以外のアウトプット

 冒頭に苦戦した1年と言った通り、アウトプットの総量は不調でした。個人ブログで3本、会社ブログで6本と、合計9本のみでした。ここ10年で最低レベルといった感じです。理由としては、心身とも疲れ果てていたこと、あとは会社の後輩たちがアウトプットだせるように支援的な立場にいたことで、それに満足していたことがあります。
 体力的な部分は、子供の少年野球が本格化したことにより、土日の拘束時間が増えたことが主要因です。体力不足を痛感したので、自分自身の体を鍛えることを意識的にする必要性を感じた1年です。ただ振り返ってみると、ダラダラ過ごした時間も多かったので、体力不足からくる気力不足が問題だったのかなと思います。気力に頼らないアウトプット方法を考えて、もう少しブログも書いていきたいです

子供の野球チームの手伝い

 2022年の苦しんだ主因ですが、子供の親としては今しかできないことなので、重要な活動の一つだと思っています。ただ、自分の体力のなさ、野球の知識のなさ、それに対して時間を割いて勉強/練習して補える余裕がないことに対してもどかしい思いはありました。
 一方で、ヘボなりに審判や練習の手伝いをすることにより、野球の違った見方はできるようになったかと思います。将来時間ができた時に、野球中継を今までの10倍くらい楽しめるようになりました。また、子どもたちが成長する過程を間近で見られることは、いろいろな学びと喜びがありました。

2023年の目標

 仕事面の目標は除外して、個人として活動しようと思っていることは次のようなことです。やっぱり字を書くことが中心になりそうです。

  • 依頼された本の執筆 ⇒ ご迷惑を書けまくっている本が多数あるので、これは何とかしないと。少なくとも今年は3冊は書きます。それ以上を目指すつもり
  • 体力増強 ⇒ ランニングを週に10Kmと、エアロバイクを週に2時間程度を目安。そして、re:Inventで5Kmマラソンに出る。鍛えている人にするとチョロいと思われると思うけど、まずは最低限の体力つけるところを目標にします。
  • ツイートのインプレッションを100万/月にするための活動 ⇒ 今は平常時で10万くらい、イベント等で頑張った時に50万くらい。力任せでは実現できない数字なので、仕組みを考えていきたいです
  • 技術同人誌がんばる ⇒ やることが多くて時間が取れないのですが、たぶん個人の活動の中で自己成長のために直接的に必要なのは、技術同人誌の執筆だと思います。自分が必要で足りない部分のスキルを、体系化できるメリットを感じています。AWS本に限らず、これはやっていきたいと思います
  • 子供の少年野球 ⇒ チームに所属するのは今年が最後なので、子供も自分も悔いが残らないようにしっかりやっていきます。ただ受験も視野に入れているので、どうするかは悩み中
  • 投資活動 ⇒ 小規模ながら、これまで色々な投資活動をしてきました。時間効率を意識して、整理していく必要を感じています。10年後、20年後を考えながら、どうすれば適切なのか模索する予定。ただ、これゴールを決めるのは難しいですね。

まとめ

 書いてみて見返ししてみると、まとまりがなく発散していました。ブログを書く筋力、思考を整理する術が弱まってきているように感じます。まずはブログを定期的に書く習慣を復活させて、徐々にいろいろ取り戻していこうと思います。
 2023年もよろしくおねがいします!!