プログラマでありたい

おっさんになっても、プログラマでありつづけたい

私の投資遍歴

 何で経済学部に入ったのと聞かれると、経済を学んだらお金儲けできるかなと思ったからと答える私です。それくらいにはお金が好きなので、社会人始まったらすぐに投資を始めました。2000年入社なので、かれこれ20年の投資履歴です。その振り返りの意味も含めてまとめてみます。もちろん、これを読んでも儲かりません。

一番最初の投資 2000年〜2005年 株式投資と持株会と財形貯蓄

 とりあえず会社に入って始めたのが、持株会と財形貯蓄あとは株式投資です。持株会については、基本的にずっと買える上限額をずっと買い続けています。財形貯蓄については、入社後しばらくは昇給分をそのまま財形貯蓄に上乗せするようにしてました。本多 静六さんの『私の財産告白』の「月給4分の1天引き貯金」みたいな感じです。Kindleで376円なので、お勧めです。

私の財産告白

私の財産告白

  • 作者:本多 静六
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版

 それ以外にやってたのが株式投資。2000年当初はオンライントレードの勃興期で、一回の取引の手数料が売り・買いそれぞれ1,000〜2,000円くらいしたような気がします。まぁそれでも売買を繰り返しているうちに少しづつ儲かって、数ヶ月に1度大きく下がってという繰り返しだったと思います。細かい収支は覚えていないですが、トータルでは少しマイナスだったんじゃないかなという感じです。その後、株取引に対して会社の方で都度申請が必要になったので、長期保有したい株以外は殆ど持たずという状況に。

2005年〜2007年 ライブドアショックでインデックス投資派に

 この時期、海外で働いていたこともあり基本的に株はしていなかったものの、なぜか現地の投資勉強会(日本人オンリー)に参加してました。不思議と米国株とかやらなかったけど何でか覚えていないです。たぶん手続きがややこしかったから。そんなおりにライブドアショックを横目で見ていて、基本的には個別株をやめようと決意して、それ以来インデックス投資派に転向。(完全にはやめていない)

2007年〜現在 リーマンショックでのダメージは?

 自社株以外の金融資産の殆どを全世界の株式・債権のバランス・インデックスファンドに振っている時に、リーマンショックに遭遇しました。当然の話ではあるのですが、全世界に配分しようがブラック・スワン的なショックには耐えられないということを実感できました。しかし、生活にこまる訳ではないので、そのまま放置してたら自然と回復してきたので、投資には余裕資金でやるべきだと実感しました。あとこのタイミングくらいで財形をやめました。
 一方で刺激が欲しくてFXやCFDを試してみた時期もあります。株式市場と違ってFXの市場は基本的に24時間開いています。ポジション持っていたら気になって眠れなくなるので、これは止めるべきだと悟り引退。たまにロスカットの設定し忘れてた時もあって、トータルで100万近く損をしてたと思います。
 

現在

 アクティブな活動は何もやっていません。刺激担当として、外国株式のインベスコ QQQのファンドを定期積み上げで購入しています。これはNASDAQに連動するファンドでアップルやAmazon、Google、Facebookなどが過半を占めています。

つみたてNISA ニッセイ外国株式インデックスファンドに限度額まで
確定拠出年金 マイバランスDC50・野村
外国株式 インベスコ QQQ トラスト シリーズ1 ET

寝かせている現金が結構積み上がってきているので、そちらも定期的にインデックスファンドに振り替えないとなぁと思いつつ忘れがちです。

結果

 トータルでみてみると投資で結構な利益が出ています。損失の殆どがアクティブに売り買いした活動の成果で、利益の大半が持ち株やインデックスファンドです。ということで、自分には株の才能はないと割り切って、市場に任せるようにしています。そして、自分は収入を増やすためにリソースを振り分けるようにしています。