昔から納得出来なかった故事の一つに朝三暮四があります。確か、高校時代の漢文で習ったと思います。内容については、Wikipediaの故事から引用。
朝三暮四
非常に猿と戯れるのが好きな男がいた。この男は家族のことも放っておいて、猿を可愛がるものだから、餌の時間になるといつも猿が寄ってくる。ところがそれが原因で、ある日奥方から「猿の餌を減らしてくれないと、子供たちの食べる物までなくなってしまう」と窘められてしまう。困った男は何とか猿たちを籠絡しようとし、一斉に呼びかけた。これからは「朝には木の実を三つ、暮(ばん)には四つしかやれない」と告げるも、猿たちは皆不満顔。それならば「朝は四つ、暮は三つならどうだ」と言うと、合計七つと変わらないにも係わらず猿は皆、納得してしまったのである[15][16]。
そこから朝三暮四は、人を巧みに言いくるめて騙すこと、また猿の立場から、物事の根本的な違いに気付かない愚かな人を指す言葉となった。
意味としては、本質的に変わらないことに気づかず騙される愚かな人という話なんですが、これ本当に一緒なのかなと思っていました。理由としては、
・朝に多く貰うか、夕方に多くもらうか?
・支給が危ぶまれる程、財政が悪化している
まず合計が7として、朝に多く貰うか夕方に多く貰うののどちらかが有利か?これが一緒と考えて良いのでしょうか?時間尺度が朝と夕方になっているので解りにくいですが、例えば今日と1年後だと解りやすいです。今日1万円貰えるのと1年後に1万円貰えるのかどちらを選ぶかといえば、大多数の人は今日だと思います。経済学では、これを割引現在価値と言います。一般的には割引率。今日の1万円が1年後の幾らと等価と考えるかという話です。故事では猿を愚かだと論じていますが、経済人としては優秀な猿なのかもしれません。
次に支給の話。倒産寸前の会社からは、さっさと取れるものを取っておこうというのが合理的な行動なのではないでしょうか?日本人特有の話かどうか解りませんが、金融というかお金の知識に関していえば、かなり高学歴の人でも全くの無知という人が多くいます。この辺り少し見なおして、義務教育でもお金の教育をしても良いのではないでしょうか?
ってな話をふと思いつきました。利息の概念もあるか怪しい時代の故事に対する難癖です。